2016年6月29日水曜日

本の紹介『ドールハウスの人々』

自分が見ている世界は
みんなが見ている世界と同じですか?

そもそも
みんなと同じ世界を見なければダメですか?


そんな漠然とした不安に襲われます。

 『ドールハウスの人々』
(二宮敦人著 文芸社文庫)

この著者のホラーは正直シャレになりません。

「わっ!」
って感じでびっくりさせるだけのパニックホラーとは
一線を画してます。

じわじわときます。

基本、霊感ゼロなんで
ホラーってのに恐怖は感じないほうなのですが、
それにもかかわらずとかく怖い。

なぜかというと、
あまりに現実味を帯びてるから。

霊感ゼロの話はしましたが、
霊的なものは皆無。
恐怖の対象がニンゲンだからこそ怖いんです。


『!(ビックリマーク)』のシリーズなんて
うかつに読み返せません。


人形の解体と人間の解体。
細かな情景描写。


でも、
これを読んで球体関節人形を組み立ててみたくなりました。
大阪日本橋
オビツとかいっぱいあるし。


2016年6月21日火曜日

本の紹介『本日もいとをかし‼枕草子』

平安時代
京を二分する女流作家といえば、
紫式部
そう。
かの清少納言

授業で習ったかぎりでは、
まぁ、こんな印象しかありませんでした。

あまり興味がない時代なんで。

むしろ、
冒頭の
春はあけぼの~
を暗記されられた、
とかめんどくさいイメージが先行してます。

日本古典教育の害悪だ。

と日本社会に責任を押し付けたくなるくらい、
正直、拒否反応がありました。


だったのですが、理由あって
枕草子』の解説本を読む機会を得まして、
購入しました。

今回は
本日もいとをかし‼枕草子
(小迎裕美子・清少納言 メディアファクトリー)
です。


読後の感想は
「ヒトって何千年経ってもおんなじなんだな」
ってことです。

景色が変わろうと、
言葉遣いが変わろうと、
食生活が変わろうと、
着る服や、住む家が変わろうと、
文明が、
便利なのか、不便なのかわからん進歩を遂げようと、
変わらんのです。

ヒトの心ってのは。


清少納言が男の心はよくわからん、
と著書の中でボヤいてるのと同じくらい、
男である自分には、
清少納言の感性がよくわからん。

そんな感情、感覚の男女差ですら、
千年前と今は変わらぬのです。


にしても、
枕草子』って見事なエッセイだったようですね。
原文で読めば、
また違った印象を持てるのかもしれませんが、
本日もいとをかし‼枕草子』に描かれた限り、
徒然なる日常エッセイです。


清少納言と取り巻きたちの日常は
決して穏やかなものではなかったみたいです。
その中で、小さな周囲の変化に気づき、
文章として表現できるのは、
やはり彼女が天才だったんでしょう。

冒頭に戻りますけど、
今日を二分する女流作家。
妄想日記を書き連ねる紫式部と
現実を言葉に起こす清少納言。

二人の感性が交わることってあったんですかねぇ?

2016年6月18日土曜日

本の紹介『ハイスクール!奇面組』

キリなくなるから
あまり同人誌には手を出さずにいたんですが、
思わず衝動買いです。

















元ネタは
ハイスクール!奇面組
(新沢基栄 集英社)
です。

3年奇面組』で描かれた中学時代。
そして、
『ハイスクール!奇面組』
で高校時代が描かれています。

しかも何度も留年をしながら。

だけでなく、
作者のタイムワープ
ってネタで、
語られなかった高校三年時のエピソードを描き続けます。

連載を継続するために
(させるために)
永遠の高校三年生を過ごす
キャラクター達。

たしかに、
零クンたちが卒業近くなるたびに
淋しい思いをさせられました。

今となっては
作者本人の意図なのか、
出版社の意図なのか、
なんて考えてしまうオトナになってしまいましたが。

あの頃は
ホントに一応高校に入学したかった。


さて、その内容ですが、
ナンセンスギャグです。

コマ割りすらネタにして、
勢いまかせで、
著作権、肖像権ぎりぎりのパロディだったり、
そう言った意味では
「古き良き時代のギャグマンガ」
でしょう。


その笑いのセンスもさることながら、
この作品のすばらしさは
キャラネーミング
オチにつきると思います。


ネーミングセンスは
二葉亭四迷以上。
(ふたばていしめいの由来は
 父親に「くたばってしまえ」と言われたかららしい)




著者自身の名前すら
新鱈 墓栄(しんだら はかえい)漫画家
という設定でパロってしまうくらいです。




個人的には

痩猪 エルザ(やせいの エルザ)
淵乃屋 麻衣(ふちのや まい)
手目小野 若蔵(てめこの わかぞう)
ナンシー・トルネアータ
北殿軒 戻樹(ほくとのけん もどき)
寒然寺 藍(かんぜんじ あい)
怒裸権 榎道(どらごん えのみち)

あたりのキャラネーミングは笑いを通り越して
感動すら覚えました。
なんかの名簿に載ってても違和感なしだと思うのんは
私だけ?



そして、
惜しまれつつも連載終了。
その最終回は

究極の夢オチ!


マンガ界における禁じ手と言われてました。

『ドラえもん』の最終回は
生命維持装置で寝たきりになってるのび太の夢オチだ。
なんて話があったり。



でも、
あの最終回は泣きました。

もしかしたら、
一応高校のメンバーがその辺にいるんじゃないか
なんて錯覚させるラストシーン。

感動です。



そして、
十数年の時を経て
フラッシュ!奇面組
(新沢基栄 スクウェア・エニックス)
で何事もなかったかのように再開します。

再開?
というか焼き直しというか。

けっきょく
作者の健康状態が理由で
未完になってしまった作品です。


作者の腰痛ネタは
新鱈 墓栄がマンガの中で
さんざん語ってますよね。


この作品はけっこう今の自分に影響を与えてます。
自分自身のキャラづくりとして。
「河川唯ちゃんが初恋のヒトです。」
っていまだに宣言できるくらい
大好きな作品でした。

2016年6月16日木曜日

自作小説について その2

「自作小説」
といいますか、
「自作小説を元ネタにして」
新たな試みです。
 


「board」というSNSサイトで作ってみました。

写真集やレシピ本、旅行記、ペット自慢
などなどいろいろな「本」が作れそうです。

そのうち絵本の類も作ってみたいですね。

絵は描けないから、
自分で撮った写真を加工しながら。

個人的にはインスタよりも楽しいです。

2016年6月15日水曜日

『おともだちロボ チョコ』と『少年と魔法のロボット』

ロボットとニンゲンとの境目ってなんだ?

AIの暴走とか、
いずれは肉体労働の仕事はなくなるだとか。


ロボットSFの巨匠アイザック・アシモフが予言した未来が訪れようとしてる!
のでしょうか?


さて、今回ご紹介するのは
『おともだちロボ チョコ』
(入間人間・電撃文庫)
です。


舞台は一つ未来の世紀末。

肉体改造ができて、
火星に移住ができて、
巨大生物が街を襲い、
乗り込み型のヒト型ロボットで戦います。

主人公の少女は戦闘ロボの研修生です。
理不尽で、超自然で、圧倒的な死への恐怖と戦い続けるニンゲンです。

彼女のもとにニンゲンそのモノのロボット少女(?)が現れます。
無感情で、無機質で、無慈悲なロボット少女は
主人公とおともだちになろうとしてきます。

「おともだち」について論理的に説明することは困難です。
いろんな矛盾をはらんでるし、
表裏一体の気持ちや感情の揺らぎを条件付けして、
二択の樹形図にしたってなんら意味ないことだし。

結果、
二人はおともだちになれたんでしょうか。

この小説で象徴的なのは
「ロボットはロボットである」 
ということ。

ニンゲンはロボットに、勝手にニンゲン性を求めるってこと。
犬に服を着せるのも、
ロボットに感情があるって信じることも、
自分と同じニンゲンであると思い込みたい
ニンゲンの欲求でしかないということ。

ニンゲンは同じニンゲンでないと
とかく不安なんでしょうね。



そして、
『少年と魔法のロボット』
(40mP Feat. GUMI)

ボカロ発信のNHKの『みんなのうた』でも流れてた曲ですね。
たまの作ったPVも可愛くて大好きです。

そこで歌われてるロボット少女は
主人公のニンゲン少年の心を歌います。

機械的に?

いえ、
少年の心を一生懸命に歌い上げます。

不器用に。
拙くとも。

大人になった主人公に、いつか忘れ去られたとしても。

やさしいロボット少女は
大人になって疲れたニンゲン少年を癒します。

「歌声、聞こえてますか?」

尋ねるのは、希望や不安を抱えてるからです。
それを心と呼ばずして、なんて表現すればいいでしょう。


ロボットが心をもったらニンゲンになれるのでしょうか。
すでに思考はニンゲンの特権ではありません。
ロボットが壊れることは、ニンゲンが死ぬことと同意でしょうか。

無機質なロボットと感情をもつロボット。

いったいどちらの未来が待ってるのでしょうか。

2016年6月9日木曜日

本の紹介『陸と千星』

身分差の恋

自分ちはもちろんのこと、
上流階級のヒトビトと交わることのない人生を、
私は歩んでます。

なので、
お嬢様と新聞配達の恋と言われても、
あまりピンときません。

にもかかわらず、
涙が零れました。

身分差なんて関係なく、
ただただ切なくて。


今回は
陸と千星
(野村美月 KADOKAWAファミ通文庫)
のご紹介です。

野村美月と言えば、
文学少女』のシリーズや
源氏物語を元ネタにした
ヒカル』のシリーズが有名です。


さて、
この物語、いろんな意味で
ずれた物語でした。

お互いの立場がずれてます。
だから、
お互いを深く知ることができません。

相手を深く知ることができないから、
互いにもつ相手の人物像がずれてます。
「あのヒトは~だから、
 きっと幸せな生活を送ってるんだ。」
そう信じちゃいます。

現実は?

そして、
毎日のように逢えるあのヒト。
いつのころからか、
意識しだし、
相手も意識してくれてると思い始め、
でも、
自意識過剰だったって落ち込んで。
相手の気持ちと自分の気持ちがずれます。



自分の想像、ある意味妄想と
現実のずれに気づき、
それを受け入れたとき、
二人はようやくお互いを…



テーマは
「泣けない少女と笑えない少年の物語」
とのことです。

ホント、この物語を端的に表したテーマだと思いました。



あぁぁぁ、
オチが読めていたのに、
涙が止まらなかったぁ。



少し冷静になりましょう。
蛇足承知で一つ。

この本のあとがきで著者は
商業的に地味
とおっしゃってます。

これが現代の
いや、
いつのころからか脈々と受け継がれてきた
物語」の運命なんでしょうね。

絶対の良本なんてこの世にないのに。
おんなじくらい絶体の駄作なんてないのに。

言葉の羅列の中で一文字でも
自分を作り上げる糧となり得れば、
そのヒトにとっての
絶対の良本にはなるはずなのに。