2016年8月20日土曜日

本の紹介『ゴメンナサイ』

読んだら呪われる。

紙媒体だった呪いが、
ブログやメールで、
不特定多数に広がっていく。

読まないでください
と言えば、
好奇心を抑えきれず読んでしまう。

呪いを解く方法を探し求める末に、
心を壊して、
死ぬか、殺すか。




そうです。
文字の羅列が呪いとなるんです。




ゴメンナサイ
(日高由香 双葉文庫)

不安は恐怖を増長させて、
心身を壊します。


とかく怖い。
これを読んでいると、
じわじわと恐怖が心を蝕んでいくのが、
自覚できます。

不安が最大の恐怖であり、
不安を一つずつ取り除いていけば、
大抵のものは怖くない。

ってのが持論なので、
私自身、
あまり怖いものがありません。

幽霊はいると思うし、
呪いだってあるのかもしれませんが、
正直、
怪我したり、結果死んだとしても、
霊感ないから、
幽霊の仕業とみなす理由が見つけらんないし、
呪いかどうかより、
だいたい自分の不注意です。

怖いというか、
自分自身に凹むのみ。

不幸の手紙とか、
チェインメールって昔からありますよね。
「死にたくなければ、
 一週間以内に五人に読ませなければならない」
みたいなやつです。

何回かそんなメールがきたことありますけど、
一回も次に回したことがありません。

呪われたから不幸になる。

べつに呪われてなくたって不幸と思えば不幸だし、
幸せなことが全くなかったわけでもないし。

何度も言うようですが、
幽霊も呪いも存在否定しません。
神も悪魔もどっかにいると思ってます。

存在するけど、
自分には影響しない。
だったら、
道ですれ違う見知らぬ人と
なんら変わりのない存在でしょう?


怖くないはずなんですけどねぇ…


怖い


私にとっては
希少なホラーです。

2016年8月13日土曜日

本の紹介『キリハラキリコ』

不思議な世界にハマりこむ。

というよりは、

不可思議な世界観に巻き込まれる。


今回は
キリハラキリコ
(紺野キリフキ 小学館文庫)
の不可思議ワールドです。


さて、とりあえず
あらすじをかいつまんで。


うその2年7組に登校してしまう。
ロボットの愚痴を聞く。
贋作マンガを楽しむ。
暦をめくる男。
ヅラ判定が得意な男。
心のすね毛が見える男。



羅列すればするほど、
紹介してる私自身が首を傾げてしまいます。


おもしろいのか?
これ…



そう感じていただけたのなら、
この小説をきっと楽しむことができるはずです。

主人公キリコの周囲に起こることは
現実あり得ないことばかりです。

でも、
キリコはそれを当り前のことと受け入れて語るものだから、
「あぁたしかに」
と妙に納得してしまいます。


「こんなヒトがきたら、こう言っちゃうだろうな」
とか
「こんなことになったら、こうしちゃうだろうな」
とか。


はたと気づかされます。
理不尽不可思議不条理

「けっきょくは現実の延長じゃないか」
って。


気づかされましたけど、
気づかないふりして読み続けました。


現実社会の光と影を
物語の中から読み取るより、
著者の描く
理不尽と不可思議と不条理な世界を満喫したいから。



理不尽を受け入れられたら、世の中楽しそう。



理不尽を受け入れるってのは、
けっして
諦めて、流されることじゃありません。

怒るときは怒るし、楽しむときは楽しむ。
目の前に起こった出来事を拒否らないってことです。



キリコの書く日記は一年で終わります。
終わらせ方も半端だし、
キリコを取り巻く世界がどうなっていくのか、
なんて想像すらさせてもらえません。


だから、ループします。
もう一度日記の初日から読みます。

一年が終わったら、また。


2016年8月8日月曜日

本の紹介『銀河のワールドカップ』

サッカー五輪代表
初戦落としました。

相手のナイジェリアは毎度ながら
試合外でドタバタしてたんですけど。


実力差。
初戦の難しさ。
国際経験の少なさ。

「自分たちのサッカー」
をなんでしなかったのか。

と語る評論家もおられました。



「自分たちのサッカー」
って?



銀河のワールドカップ
(川端裕人 集英社文庫)




続編というかスピンオフにあたる
風のダンデライオン 
 銀河のワールドカップ ガールズ』

リアルな少年少女サッカー小説です。

銀河へキックオフ!!』(NHK)で
アニメ化もしました。

登場人物たる少年少女。
それぞれ、得意技を持ってます。

コーチングだったり、
スピードだったり、
テクニックだったり、
ポジショニングだったり。

そう。
「なんとかシュート‼」
みたいに必殺技を持ってるわけではありません。

封じられるとへこみます。
簡単に自信を喪失し、パニクります。

それでも立ち上がって、
ボールへ、ゴールへと走っていく姿。

きっとそれがオトナのサッカーが見失った
「サッカーの本質」
ってやつなんでしょう。


正直言って、
サッカーマンガ、アニメと比べ、
小説だと試合の熱が伝わりにくいものです。

ものすごいテクニックも
強烈なシュートも
言葉の羅列になると、どっか冷静になってしまいます。

スポーツを言葉にするのは難しいものです。
情熱だけは簡単に伝わりますが。



この小説が書かれたのは2005年です。

Jリーグ発足が1993年。
ワールドカップ初出場が1998年フランス大会。
女子サッカーがオリンピック種目になったのが、
1996年アトランタ大会。

それを機にサッカーの裾野はどんどん広がっていきました。
その分、少年少女のサッカーに歪みというか、
何かが欠落していきます。

指導者含めオトナたちがついていけなくなった。
とも言えるかもしれません。



「戦術至上主義」「勝つためのサッカー」「体育会系」
歪んで
「体罰」「楽しくないサッカー」「個人プレーの封印」
挙げればキリないです。

実際はそこに善悪こそあれ、
正誤はありません。

指導者は指導者なりに理想と現実に迷ってたのでしょうし、
選手は選手なりに、自分とチームの狭間に戸惑っていたはずです。

オトナが理想を押し付けるのではなく、
コドモが理想のチームを選べる環境であれば…
チーム戦術にあった指導者と選手が出会うことができれば…


「自分たちのサッカー」
で勝つ。そして、負ける。
イコール
「自分のサッカー」
でチームが勝つ。そして、負ける。

そんなサッカーはプレイする方も、
観るほうもきっと楽しいんです。


理想論。
ですよね…


さて、
今、ちょうどオリンピック第二戦の真っ最中です。

第二戦コロンビアとはどうなることやら。

「前半は両チームともスコアレス」
って辺りで今回のブログを書き始めてます。

結果。
「2対2のドロー」
で今回分を書き終えました。


さてはて、
「自分たちのサッカー」
はできたのですかねぇ?