2016年10月6日木曜日

本の紹介『Jドリーム』

2018ブラジルW杯に向けたアジア最終予選。
ちょうど「vsイラク」戦が終わりました。

久々に
日本vs中東
らしい試合を観た気がします。
あのヒリヒリした興奮はライバルと呼ばれる
「vsオーストラリア」でも味わえない。
(申し訳ないですが、他のライバルと呼ばれてる国には、
 勝っても負けても怪我しないように、としか思ってません。)


この対決に興奮を覚えるのには、
年代的なものが多分にあります。
つい本棚の奥から引きだしてしまいました。


Jリーグ創成期に描かれた
Jドリーム
(塀内夏子 講談社コミックス)

1993年Jリーグ開幕。
アメリカW杯からフランスW杯までが舞台です。

初のプロリーグもW杯も夢のまま終わった選手と、
新たな世代である主人公の「」。

サッカーにおける世代交代の悲喜。
勝利の興奮と敗北の苦悩。

読んでると、
感動というより苦悶します。
サッカー選手の喜怒哀楽を、わずかとはいえ、
共有できることでしょう。



あの頃の中東は強かった。
決して過去の栄光とは呼べない時代の日本サッカーが、
一番面白かった。


日本は常にチャレンジャーだったんです!



さて、
そのコミックスの中に「ユズリハ」の話があります。

春、若葉が出ると、前年の葉が落ちてゆく。
「譲る葉」だから「ユズリハ」。




世代交代の象徴のような植物です。



この『Jドリーム』ですが、
舞台は日本サッカーリーグがまだプロ化していない時代から始まります。
Jリーグ開幕間近に引退を余儀なくされた選手が、
主人公「鷹」をクラブに導きます。

その選手が負う、復帰するにも重大な怪我。
年齢的にも引退を余儀なくされる怪我でした。

結果、その選手は
プロ化を待たずして、
そして、
W杯初出場の可能性を間近にして
引退していきます。

絶望と後悔は、当たりどころのない怒り。
自らのプレイで引き起こしたとはいえ、
です。


世代交代


サッカーのみならず、
組織においては必然的に訪れる刻です。

本人がどれだけ現役を望んでも、
組織はいつまでもそのヒトに頼っているわけにはいきません。


一つの新たな芽が育つのを見計らって、
静かに地面に落ちていく一枚の葉。

組織たるもの
それを繰り返していかなければならないんです。

逆にいえば、
古い葉がいつまでも残っている組織は、
若手が育たないからなのか、
古い葉が、
成長とともにのびていく幹に
不自然にしがみつける環境にある、
ということなのでしょう。

ともすれば、
樹、すなわち組織の成長を妨げることになろうとも。

新たな世代の自覚と
古き世代の覚悟。

成長する組織とは、
そのバランスがきちんととれている組織、
といえるのではないでしょうか。



もう一つ。
印象的なシーンがあります。

鷹がフリーキックで無回転シュートを放つんです!

一時、
クリロナや本田が得意としていたアレです。

なにを今さら?

っていうか、
すでにブームも過ぎて無回転シュートをうつ選手すらいなくない?

たしかに。

でも、
この話が書かれたのは1993年から1999年にかけて。
本田が放った南アフリカW杯は2010年。

無回転シュートが広く世に知られる前のことです。
著者のサッカー熱 が強く感じられたのは私だけでしょうか?

2016年8月20日土曜日

本の紹介『ゴメンナサイ』

読んだら呪われる。

紙媒体だった呪いが、
ブログやメールで、
不特定多数に広がっていく。

読まないでください
と言えば、
好奇心を抑えきれず読んでしまう。

呪いを解く方法を探し求める末に、
心を壊して、
死ぬか、殺すか。




そうです。
文字の羅列が呪いとなるんです。




ゴメンナサイ
(日高由香 双葉文庫)

不安は恐怖を増長させて、
心身を壊します。


とかく怖い。
これを読んでいると、
じわじわと恐怖が心を蝕んでいくのが、
自覚できます。

不安が最大の恐怖であり、
不安を一つずつ取り除いていけば、
大抵のものは怖くない。

ってのが持論なので、
私自身、
あまり怖いものがありません。

幽霊はいると思うし、
呪いだってあるのかもしれませんが、
正直、
怪我したり、結果死んだとしても、
霊感ないから、
幽霊の仕業とみなす理由が見つけらんないし、
呪いかどうかより、
だいたい自分の不注意です。

怖いというか、
自分自身に凹むのみ。

不幸の手紙とか、
チェインメールって昔からありますよね。
「死にたくなければ、
 一週間以内に五人に読ませなければならない」
みたいなやつです。

何回かそんなメールがきたことありますけど、
一回も次に回したことがありません。

呪われたから不幸になる。

べつに呪われてなくたって不幸と思えば不幸だし、
幸せなことが全くなかったわけでもないし。

何度も言うようですが、
幽霊も呪いも存在否定しません。
神も悪魔もどっかにいると思ってます。

存在するけど、
自分には影響しない。
だったら、
道ですれ違う見知らぬ人と
なんら変わりのない存在でしょう?


怖くないはずなんですけどねぇ…


怖い


私にとっては
希少なホラーです。

2016年8月13日土曜日

本の紹介『キリハラキリコ』

不思議な世界にハマりこむ。

というよりは、

不可思議な世界観に巻き込まれる。


今回は
キリハラキリコ
(紺野キリフキ 小学館文庫)
の不可思議ワールドです。


さて、とりあえず
あらすじをかいつまんで。


うその2年7組に登校してしまう。
ロボットの愚痴を聞く。
贋作マンガを楽しむ。
暦をめくる男。
ヅラ判定が得意な男。
心のすね毛が見える男。



羅列すればするほど、
紹介してる私自身が首を傾げてしまいます。


おもしろいのか?
これ…



そう感じていただけたのなら、
この小説をきっと楽しむことができるはずです。

主人公キリコの周囲に起こることは
現実あり得ないことばかりです。

でも、
キリコはそれを当り前のことと受け入れて語るものだから、
「あぁたしかに」
と妙に納得してしまいます。


「こんなヒトがきたら、こう言っちゃうだろうな」
とか
「こんなことになったら、こうしちゃうだろうな」
とか。


はたと気づかされます。
理不尽不可思議不条理

「けっきょくは現実の延長じゃないか」
って。


気づかされましたけど、
気づかないふりして読み続けました。


現実社会の光と影を
物語の中から読み取るより、
著者の描く
理不尽と不可思議と不条理な世界を満喫したいから。



理不尽を受け入れられたら、世の中楽しそう。



理不尽を受け入れるってのは、
けっして
諦めて、流されることじゃありません。

怒るときは怒るし、楽しむときは楽しむ。
目の前に起こった出来事を拒否らないってことです。



キリコの書く日記は一年で終わります。
終わらせ方も半端だし、
キリコを取り巻く世界がどうなっていくのか、
なんて想像すらさせてもらえません。


だから、ループします。
もう一度日記の初日から読みます。

一年が終わったら、また。


2016年8月8日月曜日

本の紹介『銀河のワールドカップ』

サッカー五輪代表
初戦落としました。

相手のナイジェリアは毎度ながら
試合外でドタバタしてたんですけど。


実力差。
初戦の難しさ。
国際経験の少なさ。

「自分たちのサッカー」
をなんでしなかったのか。

と語る評論家もおられました。



「自分たちのサッカー」
って?



銀河のワールドカップ
(川端裕人 集英社文庫)




続編というかスピンオフにあたる
風のダンデライオン 
 銀河のワールドカップ ガールズ』

リアルな少年少女サッカー小説です。

銀河へキックオフ!!』(NHK)で
アニメ化もしました。

登場人物たる少年少女。
それぞれ、得意技を持ってます。

コーチングだったり、
スピードだったり、
テクニックだったり、
ポジショニングだったり。

そう。
「なんとかシュート‼」
みたいに必殺技を持ってるわけではありません。

封じられるとへこみます。
簡単に自信を喪失し、パニクります。

それでも立ち上がって、
ボールへ、ゴールへと走っていく姿。

きっとそれがオトナのサッカーが見失った
「サッカーの本質」
ってやつなんでしょう。


正直言って、
サッカーマンガ、アニメと比べ、
小説だと試合の熱が伝わりにくいものです。

ものすごいテクニックも
強烈なシュートも
言葉の羅列になると、どっか冷静になってしまいます。

スポーツを言葉にするのは難しいものです。
情熱だけは簡単に伝わりますが。



この小説が書かれたのは2005年です。

Jリーグ発足が1993年。
ワールドカップ初出場が1998年フランス大会。
女子サッカーがオリンピック種目になったのが、
1996年アトランタ大会。

それを機にサッカーの裾野はどんどん広がっていきました。
その分、少年少女のサッカーに歪みというか、
何かが欠落していきます。

指導者含めオトナたちがついていけなくなった。
とも言えるかもしれません。



「戦術至上主義」「勝つためのサッカー」「体育会系」
歪んで
「体罰」「楽しくないサッカー」「個人プレーの封印」
挙げればキリないです。

実際はそこに善悪こそあれ、
正誤はありません。

指導者は指導者なりに理想と現実に迷ってたのでしょうし、
選手は選手なりに、自分とチームの狭間に戸惑っていたはずです。

オトナが理想を押し付けるのではなく、
コドモが理想のチームを選べる環境であれば…
チーム戦術にあった指導者と選手が出会うことができれば…


「自分たちのサッカー」
で勝つ。そして、負ける。
イコール
「自分のサッカー」
でチームが勝つ。そして、負ける。

そんなサッカーはプレイする方も、
観るほうもきっと楽しいんです。


理想論。
ですよね…


さて、
今、ちょうどオリンピック第二戦の真っ最中です。

第二戦コロンビアとはどうなることやら。

「前半は両チームともスコアレス」
って辺りで今回のブログを書き始めてます。

結果。
「2対2のドロー」
で今回分を書き終えました。


さてはて、
「自分たちのサッカー」
はできたのですかねぇ?

2016年7月29日金曜日

自作小説について その3

小説家になろう」サイトで書いてます
自作小説の長編五作目
輝石と双眸
完結です。


今回の主人公は武器屋の少女。

自らの生み出す武器がもたらす未来と
負うべき責任をテーマに、
王国騎士の家族を描いてます。


副題は鉱石です。

鉱物諸々のイメージや魔術的な意味合いを
ところどころにちりばめながら、
鉱物図鑑やらパワーストーンの本とにらめっこして決めました。

ネタはだいたい
楽しい鉱物図鑑
(堀秀道 草思社)
から。
イメージがまとまったら、
パワーストーン関連の書籍で調べ直してでした。


さらに今回は、

ですます調の一人称に初挑戦。

ブログとおんなじようにできるかな、
なんて甘く見てたのですが、
想像以上に難しかったです。

似たり寄ったりの表現が続いてしまって、
語尾に四苦八苦したり。

あえてこのセリフは通常に戻そう、
なんてやってるとバランスが取れなくなったり。

内容に悩みたいのに、
文体のバランスに悩むことが多かったです。


よろしければ、こちらご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n7180cv/

2016年7月18日月曜日

本の紹介『食堂かたつむり』

この本を読んで、
錬金術」を想像してしまったのは
私だけでしょうか。

いや、私だけでしょうけど。


今回は
食堂かたつむり
(小川糸 ポプラ文庫)
です。


レシピの豊富さや食材について。
豚を捌くときの生々しさ。

「この料理食べてみたい!」
と思うより先に
「この料理ってこういうのなんだ」
と無知な自分が感心するばかり。

料理人、目指したことないですし。
当然のこと。

ところで、
何に錬金術を想像したかといいますと、
以前ブログで紹介しました
鋼の錬金術師』のワンシーンを思い出したからです。

全然重要なシーンではないのですが、
「錬金術師は自分の研究を他のヒトに盗まれないように暗号化する」
といった流れがありました。

旅行記にしてみたり、女性とのデート予定にしてたり。
その中にレシピ風ってのがありました。

食堂かたつむり』でも、
料理がヒトに与える影響が一つのテーマになっています。

それがまた神秘的というより、魔術的なんです。

乱暴に引用するなら、
再会の奇跡を起こし、
縁を結び、
最高の夢を視せ、
動物の病気を治し、
ヒトをやさしい気持ちにさせる。

イモリの黒焼きなんて笑い話も出てきますが、
著者自身が書いてるうちに
あまりに魔法じみてるからって、
現実に引き戻したんじゃないか。
なんて勘ぐってしまいます。

でも、
美しい物語です。


描かれているのはもっと根源的な
生と死への賛歌、
いうなら
宗教的な祈り 。


映画は見てないので何とも言えませんが、
単純に
主人公の女性のキズが癒される物語として描いたら、
ぜったいに違和感を覚える気がします。


「食べるということは
 なにかの命を吸収すること」


この小説が語るのは
レシピ云々ではなく
そこなのかなと思いました。

2016年7月4日月曜日

本の紹介『てふてふ荘へようこそ』

私は霊感がありません。

最近、
夜中の天王山トンネル(スポットらしいです)
に行くことがしばしばあるのですが、
やっぱり見えません。

『てふてふ荘へようこそ』
(乾ルカ  角川文庫)

ある格安アパートで繰り広げられる、
ヒトと霊の人情劇です。

ドラマにもなりました。
観てないですが。

一部屋一人、がいます。
そこに入居する、してる、してた
ヒトたちの生き方の変化。
それがメインテーマと言えるでしょう。

それは同時に
部屋に自縛してる霊たちにも
変化をもたらします。

ヒトとしてまっとうに生きる
ってのがどんなに大切で、
どんなに困難なことなのか。
それを再確認させてくれました。

その話の中で、


カエルは動くものしか認識できない。
生きていくための進化の過程でそうなった。
だから、
カエルは動かない石を見ることができない。
目の前に存在してたとしても。

霊が見えないのもそういうことなんだろう。


という場面が描かれています。

存在してるけど認識できないコトやモノ。
きっと、
私の周囲にもたくさん存在してるのだろうな、
と思います。



2016年7月1日金曜日

本の紹介『多重人格探偵サイコ』

約20年の歳月が経ちました。

なにが?

多重人格探偵サイコ
(原作 大塚英志/作画 田島昭宇  角川書店)
の連載期間です。

今月、
最終24巻が出ました。


大塚英志
民俗学や社会学、サブカルチャー論といった分野で
数々の執筆をしていました。

社会的にタブーであろう事柄に
あえて踏み込んでいく姿勢。

臭いものに蓋をすればいい!
ってもんじゃない。
そう教えてくれたのは大塚教授の書籍です。

そして、
多重人格探偵サイコ』のさらなる魅力は
田島昭宇の絵です。

田島昭宇の描く死はあまりにも美麗で、
恐怖に震えながらも目を逸らせませんでした。


導入部に出てくる
主人公の恋人の女性。
あまりにも衝撃的なシーンです。


新興宗教
疑似人格
バーコード
集団自殺
スペア

そんな裏社会的なキーワード。
もしかしたら、
管理社会ってのはこういうものなのか?
と殺人以外の現実社会にも恐怖を感じました。



連載開始は1997年。
日本中を震撼させた『酒鬼薔薇事件』の起こった年でした。

猟奇殺人
多重人格
プロファイリング

刑事事件が様変わりしていったのが、
このあたりだったと記憶してます。



日本の各地で有害図書指定受けたってのも、
半ば納得できます。

実際、
これが本棚に並んでて、
自分がなにかしらの事件を起こしたら、

ニュースで取り上げられたことでしょう。


反社会的事件の際に必ず取り上げられる
マンガだったりビデオだったり。

べつに容疑者を擁護するつもりは毛頭ありません。
でも正直、
そんな取り上げ方をするワイドショーなんかを見るたびに
「〇〇殺人事件」といった表題の
大御所作家の文庫が並んだ棚ってどうなの?
と疑問でした。


「有名作家なら著作の中でヒトを殺してもいいのか?
 有害図書にならないのか?」



20年の歳月を経ても未だ疑問です。



2016年6月29日水曜日

本の紹介『ドールハウスの人々』

自分が見ている世界は
みんなが見ている世界と同じですか?

そもそも
みんなと同じ世界を見なければダメですか?


そんな漠然とした不安に襲われます。

 『ドールハウスの人々』
(二宮敦人著 文芸社文庫)

この著者のホラーは正直シャレになりません。

「わっ!」
って感じでびっくりさせるだけのパニックホラーとは
一線を画してます。

じわじわときます。

基本、霊感ゼロなんで
ホラーってのに恐怖は感じないほうなのですが、
それにもかかわらずとかく怖い。

なぜかというと、
あまりに現実味を帯びてるから。

霊感ゼロの話はしましたが、
霊的なものは皆無。
恐怖の対象がニンゲンだからこそ怖いんです。


『!(ビックリマーク)』のシリーズなんて
うかつに読み返せません。


人形の解体と人間の解体。
細かな情景描写。


でも、
これを読んで球体関節人形を組み立ててみたくなりました。
大阪日本橋
オビツとかいっぱいあるし。


2016年6月21日火曜日

本の紹介『本日もいとをかし‼枕草子』

平安時代
京を二分する女流作家といえば、
紫式部
そう。
かの清少納言

授業で習ったかぎりでは、
まぁ、こんな印象しかありませんでした。

あまり興味がない時代なんで。

むしろ、
冒頭の
春はあけぼの~
を暗記されられた、
とかめんどくさいイメージが先行してます。

日本古典教育の害悪だ。

と日本社会に責任を押し付けたくなるくらい、
正直、拒否反応がありました。


だったのですが、理由あって
枕草子』の解説本を読む機会を得まして、
購入しました。

今回は
本日もいとをかし‼枕草子
(小迎裕美子・清少納言 メディアファクトリー)
です。


読後の感想は
「ヒトって何千年経ってもおんなじなんだな」
ってことです。

景色が変わろうと、
言葉遣いが変わろうと、
食生活が変わろうと、
着る服や、住む家が変わろうと、
文明が、
便利なのか、不便なのかわからん進歩を遂げようと、
変わらんのです。

ヒトの心ってのは。


清少納言が男の心はよくわからん、
と著書の中でボヤいてるのと同じくらい、
男である自分には、
清少納言の感性がよくわからん。

そんな感情、感覚の男女差ですら、
千年前と今は変わらぬのです。


にしても、
枕草子』って見事なエッセイだったようですね。
原文で読めば、
また違った印象を持てるのかもしれませんが、
本日もいとをかし‼枕草子』に描かれた限り、
徒然なる日常エッセイです。


清少納言と取り巻きたちの日常は
決して穏やかなものではなかったみたいです。
その中で、小さな周囲の変化に気づき、
文章として表現できるのは、
やはり彼女が天才だったんでしょう。

冒頭に戻りますけど、
今日を二分する女流作家。
妄想日記を書き連ねる紫式部と
現実を言葉に起こす清少納言。

二人の感性が交わることってあったんですかねぇ?

2016年6月18日土曜日

本の紹介『ハイスクール!奇面組』

キリなくなるから
あまり同人誌には手を出さずにいたんですが、
思わず衝動買いです。

















元ネタは
ハイスクール!奇面組
(新沢基栄 集英社)
です。

3年奇面組』で描かれた中学時代。
そして、
『ハイスクール!奇面組』
で高校時代が描かれています。

しかも何度も留年をしながら。

だけでなく、
作者のタイムワープ
ってネタで、
語られなかった高校三年時のエピソードを描き続けます。

連載を継続するために
(させるために)
永遠の高校三年生を過ごす
キャラクター達。

たしかに、
零クンたちが卒業近くなるたびに
淋しい思いをさせられました。

今となっては
作者本人の意図なのか、
出版社の意図なのか、
なんて考えてしまうオトナになってしまいましたが。

あの頃は
ホントに一応高校に入学したかった。


さて、その内容ですが、
ナンセンスギャグです。

コマ割りすらネタにして、
勢いまかせで、
著作権、肖像権ぎりぎりのパロディだったり、
そう言った意味では
「古き良き時代のギャグマンガ」
でしょう。


その笑いのセンスもさることながら、
この作品のすばらしさは
キャラネーミング
オチにつきると思います。


ネーミングセンスは
二葉亭四迷以上。
(ふたばていしめいの由来は
 父親に「くたばってしまえ」と言われたかららしい)




著者自身の名前すら
新鱈 墓栄(しんだら はかえい)漫画家
という設定でパロってしまうくらいです。




個人的には

痩猪 エルザ(やせいの エルザ)
淵乃屋 麻衣(ふちのや まい)
手目小野 若蔵(てめこの わかぞう)
ナンシー・トルネアータ
北殿軒 戻樹(ほくとのけん もどき)
寒然寺 藍(かんぜんじ あい)
怒裸権 榎道(どらごん えのみち)

あたりのキャラネーミングは笑いを通り越して
感動すら覚えました。
なんかの名簿に載ってても違和感なしだと思うのんは
私だけ?



そして、
惜しまれつつも連載終了。
その最終回は

究極の夢オチ!


マンガ界における禁じ手と言われてました。

『ドラえもん』の最終回は
生命維持装置で寝たきりになってるのび太の夢オチだ。
なんて話があったり。



でも、
あの最終回は泣きました。

もしかしたら、
一応高校のメンバーがその辺にいるんじゃないか
なんて錯覚させるラストシーン。

感動です。



そして、
十数年の時を経て
フラッシュ!奇面組
(新沢基栄 スクウェア・エニックス)
で何事もなかったかのように再開します。

再開?
というか焼き直しというか。

けっきょく
作者の健康状態が理由で
未完になってしまった作品です。


作者の腰痛ネタは
新鱈 墓栄がマンガの中で
さんざん語ってますよね。


この作品はけっこう今の自分に影響を与えてます。
自分自身のキャラづくりとして。
「河川唯ちゃんが初恋のヒトです。」
っていまだに宣言できるくらい
大好きな作品でした。

2016年6月16日木曜日

自作小説について その2

「自作小説」
といいますか、
「自作小説を元ネタにして」
新たな試みです。
 


「board」というSNSサイトで作ってみました。

写真集やレシピ本、旅行記、ペット自慢
などなどいろいろな「本」が作れそうです。

そのうち絵本の類も作ってみたいですね。

絵は描けないから、
自分で撮った写真を加工しながら。

個人的にはインスタよりも楽しいです。

2016年6月15日水曜日

『おともだちロボ チョコ』と『少年と魔法のロボット』

ロボットとニンゲンとの境目ってなんだ?

AIの暴走とか、
いずれは肉体労働の仕事はなくなるだとか。


ロボットSFの巨匠アイザック・アシモフが予言した未来が訪れようとしてる!
のでしょうか?


さて、今回ご紹介するのは
『おともだちロボ チョコ』
(入間人間・電撃文庫)
です。


舞台は一つ未来の世紀末。

肉体改造ができて、
火星に移住ができて、
巨大生物が街を襲い、
乗り込み型のヒト型ロボットで戦います。

主人公の少女は戦闘ロボの研修生です。
理不尽で、超自然で、圧倒的な死への恐怖と戦い続けるニンゲンです。

彼女のもとにニンゲンそのモノのロボット少女(?)が現れます。
無感情で、無機質で、無慈悲なロボット少女は
主人公とおともだちになろうとしてきます。

「おともだち」について論理的に説明することは困難です。
いろんな矛盾をはらんでるし、
表裏一体の気持ちや感情の揺らぎを条件付けして、
二択の樹形図にしたってなんら意味ないことだし。

結果、
二人はおともだちになれたんでしょうか。

この小説で象徴的なのは
「ロボットはロボットである」 
ということ。

ニンゲンはロボットに、勝手にニンゲン性を求めるってこと。
犬に服を着せるのも、
ロボットに感情があるって信じることも、
自分と同じニンゲンであると思い込みたい
ニンゲンの欲求でしかないということ。

ニンゲンは同じニンゲンでないと
とかく不安なんでしょうね。



そして、
『少年と魔法のロボット』
(40mP Feat. GUMI)

ボカロ発信のNHKの『みんなのうた』でも流れてた曲ですね。
たまの作ったPVも可愛くて大好きです。

そこで歌われてるロボット少女は
主人公のニンゲン少年の心を歌います。

機械的に?

いえ、
少年の心を一生懸命に歌い上げます。

不器用に。
拙くとも。

大人になった主人公に、いつか忘れ去られたとしても。

やさしいロボット少女は
大人になって疲れたニンゲン少年を癒します。

「歌声、聞こえてますか?」

尋ねるのは、希望や不安を抱えてるからです。
それを心と呼ばずして、なんて表現すればいいでしょう。


ロボットが心をもったらニンゲンになれるのでしょうか。
すでに思考はニンゲンの特権ではありません。
ロボットが壊れることは、ニンゲンが死ぬことと同意でしょうか。

無機質なロボットと感情をもつロボット。

いったいどちらの未来が待ってるのでしょうか。

2016年6月9日木曜日

本の紹介『陸と千星』

身分差の恋

自分ちはもちろんのこと、
上流階級のヒトビトと交わることのない人生を、
私は歩んでます。

なので、
お嬢様と新聞配達の恋と言われても、
あまりピンときません。

にもかかわらず、
涙が零れました。

身分差なんて関係なく、
ただただ切なくて。


今回は
陸と千星
(野村美月 KADOKAWAファミ通文庫)
のご紹介です。

野村美月と言えば、
文学少女』のシリーズや
源氏物語を元ネタにした
ヒカル』のシリーズが有名です。


さて、
この物語、いろんな意味で
ずれた物語でした。

お互いの立場がずれてます。
だから、
お互いを深く知ることができません。

相手を深く知ることができないから、
互いにもつ相手の人物像がずれてます。
「あのヒトは~だから、
 きっと幸せな生活を送ってるんだ。」
そう信じちゃいます。

現実は?

そして、
毎日のように逢えるあのヒト。
いつのころからか、
意識しだし、
相手も意識してくれてると思い始め、
でも、
自意識過剰だったって落ち込んで。
相手の気持ちと自分の気持ちがずれます。



自分の想像、ある意味妄想と
現実のずれに気づき、
それを受け入れたとき、
二人はようやくお互いを…



テーマは
「泣けない少女と笑えない少年の物語」
とのことです。

ホント、この物語を端的に表したテーマだと思いました。



あぁぁぁ、
オチが読めていたのに、
涙が止まらなかったぁ。



少し冷静になりましょう。
蛇足承知で一つ。

この本のあとがきで著者は
商業的に地味
とおっしゃってます。

これが現代の
いや、
いつのころからか脈々と受け継がれてきた
物語」の運命なんでしょうね。

絶対の良本なんてこの世にないのに。
おんなじくらい絶体の駄作なんてないのに。

言葉の羅列の中で一文字でも
自分を作り上げる糧となり得れば、
そのヒトにとっての
絶対の良本にはなるはずなのに。


2016年5月29日日曜日

本の紹介『ばんぱいやのパフェ屋さん』

男たるものパフェなんて

とは全く思いませんけど、
やっぱり隣に女の子がいないと遠ざかってしまいます。

パフェ

今回ご紹介する本は
ばんぱいやのパフェ屋さん
(佐々木禎子 ポプラ文庫ピュアフル)

題名のとおり
吸血鬼が経営するパフェ屋のお話です。


主人公はパフェ屋さんではなく、
貧血虚弱な男の子。

その遠縁にあたる親戚が吸血鬼の一族で、
パフェ屋さんです。


物語は、
主人公の男の子が中学生に進級したところから
始まります。

彼は虚弱体質のため、
(病気の類ではなく、
 吸血鬼の血縁所以なのですが)
すぐに倒れてしまう「弱い子」。

あだ名は「ドミノ」。

「言われても仕方ない」と諦めてしまうあたり、
幼いころから蔑視されたんだろうな、
って同情してしまいます。

しかも、
それは母親のしつけだの養育のせいにされて。



ホント、
現実問題、
周囲のヒトたちって勝手な理由づけしてくれる。
勝手な評価して、
勝手な期待を圧しつけて、
勝手にがっかりして。
本人はため息しか出ませんよね。


はい。
閑話休題。




中学生は
精神的にも社会的位置って意味でも
不安定な時期です。

自我の確立が
本人の心と体の居場所を不安定にします。

自分探しの旅って言葉を使えばカッコいいのかもしれませんけど、
そんなモンじゃなく、
もっと息苦しい、
深い深い霧が立ち込めた森の中を彷徨ってるような。
居場所と自分を捜してもがく年齢でしょう。

パフェ屋の吸血鬼たちは
そんな男の子の前にサラリと現れます。

ばんぱいや
であることのコンプレックスときちんと向き合った結果、
堂々としたオトナになった彼ら。

いや、やることはけっこうコドモですけど、
まぁ、それはそうと彼らは
現実を迷い彷徨う「ドミノ」に指針を示す目標となります。

男の子の成長を描いた
とってもやさしい物語です。



我が子が15歳。
父親として指針となってるのでしょうか。
なってないなら、
他に指針となるヒトをみつけているでしょうか。
覆いに不安です。



ついでに
舞台は著者の出身地でもある北海道札幌市です。


うん、たしかに。

あそこなら吸血鬼もいそうな気がします。
東京新宿区とか鳥取県境港市とか岩手県遠野市とかにも
いそうですけど、
雰囲気的に住んでそうな気がします。

この物語のように商店街で。
現実社会のしがらみに縛られ過ぎず、
迷い人を導いてほしい。
そう思うのは、あまりに他人任せですか?

2016年5月20日金曜日

本の紹介『座敷童子の代理人』

岩手県遠野市
柳田国男宮沢賢治が愛した妖の住む町。

なんでか
ジンギスカンのお店が街道沿いに並ぶ町。

いやいや、
そっちは関係ないか。


今回は妖怪のお話です。
座敷童子の代理人
(仁科裕貴 KADOKAWAメディアワークス文庫)

ちょいミステリ。
ちょい恋愛もの。
ちょいアクション。

ネタが妖怪で、
主人公が物書きでなければ、
正直、
食指が伸びなかったかもしれません。

物語を「読ませる」ように構成する要素を
ふんだんにちりばめた 小説。
ってのが第一印象でした。

主人公の男性が著者とリンクして、
この小説自体ノンフィクションなんじゃないか、
と勘ぐってしまいます。

著者様、失礼なことを言ってごめんなさい。


どの部分を紹介してもネタばれになりそうなので、
今回はあくまで外郭のみの紹介です。


面白いのは、
物語の各所にちりばめられた伏線とギミック。
妖怪の立ち位置とオチ。
そんなに複雑ではないので
ライトミステリ(そんな単語は存在しないでしょうけど)
って感じです。

それでも
「あーそうきたかぁ。」
とやけに納得した最後でした。



遠野。
きちんと訪れたことはありませんが、
とっても雰囲気のある町です。

過ぎていく景色を見てるだけで、
不可思議な世界に連れて行かれそうになります。

川沿いの桜並木。
いまだちゃんと観ることができてません。
キレイなんですけどね。

2016年4月16日土曜日

本の紹介『コンビニたそがれ堂』

ヒトは一歩前に進むたびに、
ナニカを失くしていきます。

それがどんなに大事なモノだったか、
後になって気づくこともありますし、
大事なモノと知っていながら、
置いていかざる得ないこともあります。

過去に失くした大事なモノを、
もう一度この胸に抱きしめたい。

きっと、
誰もが一度は考えたことがあるかと思います。




コンビニたそがれ堂
(村山 早紀 ポプラ文庫ピュアフル)
はそんなヒトたちに
やさしく語りかけてくれます。


商店街の外れ。
赤い鳥居が並んだあたり。
夕暮れ時になるとあらわれる
不思議なコンビニ。

たそがれ堂

そのコンビニでは
大事な探し物を見つけられると言われてます。



老若男女、ヒトはもちろんのこと、
動物だって大事なモノを失くし、
過去を捜し求めます。


間違えてはならないのは、
このコンビニはけっして、
過去を取り戻すものではありません。

過去に取りこぼしてしまった、
未来へのきっかけを与えてくれるだけです。

メモ帳。
お人形。
ストラップ。
キャンディ。
光。

それは小さな小さな
未来への欠片。

お客さんはそれを手に現実へと戻ります。



この小説。
もとは児童書です。
著者の村山 早紀は児童文学作家です。

だからこそ、
オトナにやさしく語りかけてきます。

いくつも大事なモノを失くしてきたオトナにこそ、
この物語は心に響くはず。

私はそう感じます。

2016年3月25日金曜日

本の紹介『異世界食堂』

土曜日限定の特別営業は異世界で。



異世界食堂
(犬塚惇平 主婦の友社ヒーロー文庫)

食堂のメニューのような目次からしてお腹がなってしまいそうです。

メンチカツ、ビーフシチュー、ビフテキ、ホットケーキ…etc 
昔からやってる洋食屋さんのメニューです。
お好み焼きなんてものも出します。


そういえば、
モーニングセットのパンって、なんであんなにあたたかいんですかねぇ。
個人的には
スクランブルエッグとベーコンの組み合わせが好きです。
仕事明け(夜勤明け)の胃に流れ込んでくる苦いコーヒーですらやさしくて。



贅沢な食生活を送れる日本では普通のメニュー。
しかし、
殺伐とした異世界では火の通った料理ですら口にできないヒトもいたはず。

ファンタジー小説の時代設定はたいてい中近世ヨーロッパを踏襲してるから。
大航海時代は香辛料をめぐる争いでもあったし、
保存技術も発達してないから、
新鮮な野菜や果物からの栄養を得られなかったって言いますし。

きっと、
異世界の住人達も感涙したことでしょう。



食ラノベ
けっこう増えてきました。

にしても、
食を文字で描くってのは、
マンガにしたり映像にしたりするより、
はるかに表現力が必要だろうな。

食マンガだったり、ときには旅番組等の食レポでも、
たまに過剰演出ぎみの映像がありますが、
異世界食堂』の食レポは淡々としてます。

作る過程も、食べる様子も、
あたりまえに作って、あたりまえに食べる。
「おいしー!」
って絶叫するなんて、現実世界であんまりないですよね。
そんなあたりまえの食堂風景描写が、
ファンタジー世界と現実世界を融合してます。

それぞれのメニューに対する逸話や食べてる種族に、
コドモじみたファンタジー感を覚えません。


でも、これも私事ですが、
これ読むと、かなり嫉妬と羨望を覚えます。
連載は「小説家になろう」サイトだから。

2016年2月6日土曜日

本の紹介『床下仙人』

企業戦士、マイホーム、海外出張。
勝ち組のキーワード。

床下ホームレス、てんぷら学生ならぬてんぷら社員、
派遣社長。
負け組の…負け組?

書名も惹かれる書名ですが、
副題のつけ方がまた絶妙です。

床下仙人
(原宏一 祥伝社文庫)

書名を見たときは、
現代社会の日常系おとぎ話かと勘違いしてました。
(著者のことをまったく知らずに、題名買いでした。)

まぁ、たしかに
内容的には中らずと雖も遠からずでしたが、
サラリーマンの悲喜こもごもを語った小説でした。

一風変わったビジネス小説
企業戦士のなれの果てとでもいいましょうか。
でも、
どこか幸せにも思える登場人物たちです。

その幸せは
会社という組織の理不尽と戦い続け、
疲れ果てたヒトには小さな慰めとなると思います。

不幸の中の見出したわずかな幸せ。
「神様ありがとう」
なんてけっして叫ばないだろう小さな慰め。

これって現実と戦う武器だと思うんです。
大きな幸せは現実から目を逸らすきっかけになるし、
派手に慰められると依存しちゃうから。

小さな幸福を積み重ねて、
そのために現実と戦って、
慰められたら、
他のキズついてるヒトを慰められる 。

そんな人生を送れたら、
死に際笑顔で逝ける気がします。